信楽焼 体験陶房併設の卸小売店を取材

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やきものづくりを体感する

信楽焼は、素地づくりから販売までを一貫して行うことのできる陶産地の一つです。一帯には素地、釉薬の販売から、窯元や販売店が豊かな自然の中、あちらこちらに立ち並んでいます。その中の一社「まるとく陶器/手作り工房 得斎陶房」は、「見る・買う」にとどまらず、陶器作りの喜びを体感することができる、体験型店舗として運営を行っています。

自身も作陶を行い、信楽陶器卸商業協同組合の現理事長を務める、代表の奥田訓久氏にお話しを伺いました。

火鉢作りの窯元から販売業務専門へ 

まるとく陶器は、もともとは「磯右エ門」という名で江戸後期から続いていた火鉢専門の窯元でした。現在の奥田氏で、正確な記録は現存してないものの、おそらく6代目だといいます。

氏が小学校3年生くらいまでは、火鉢を作る窯元と販売の業務を並行して行っており、数千坪ある敷地の中に、12~13段から成る登り窯が2基、土工場なども併設されていました。その後、暖房器具が発達し火鉢の製造量が減少。約40年前に会社は販売業務のみでの事業を選択します。

後世に残すべき「得斎」の名

現在の店舗名「まるとく陶器」と陶房名「得斎陶房」の名前には、祖父方の生家である「小川家」からの由来が背景にあります。

「得斎」は、小川家で代々作家名として使われていた雅号でした。記録によると、江戸後期の「小川得斎」は、1804-30年の頃に郷里の信楽にて作陶を行い、1831年伊賀(三重県)上野に移り、古伊賀の写しを焼いた人物とされています。晩年は「伊賀の名工 小川得斎」として名を馳せ、幕末に活躍した名工の一人でした。伊賀上野城の天守閣の展示品に「得斎」という銘での器があることから、代々小川得斎を名乗る作家は、献上用の器づくりも手がけていたと考えられます。

代々作家名として使われていた得斎でしたが、祖父の本名に「得斎」と名付けられることになります。奥田家へと入った祖父得斎氏は、自分の字を取って、「磯右エ門」から「丸得製陶所(窯名/奥田得斎商店)」とし、その後呼びやすいように「まるとく陶器」と屋号を変えていくことになるのです。

陶房名となっている得斎陶房は、2010年9月に奥田氏によって店舗内に併設されました。オープンに際し名前を色々考えたものの、代々の得斎の歴史を知り、後世に残していくべき名前と考え、「得斎陶房」と名付けたといいます。

陶器を作る「喜び」を持ち帰ってもらう陶房

土、釉薬、窯、焼き方を教えてくれる環境が全て揃っていた信楽の地で、作ることもわかっておいたほうが販売にも生かせる、そう考えた氏は33、4歳の頃から自らも作陶を始めます。

ろくろ一台を購入し我流で始め、うまくいかない時には、周りの先生に教えを請い、道具の使い方や作り方を学ぶようになりました。年配の職人さんたちから学んだその知識は、今でも仕事で存分に生かされているといいます。

まるとく陶器を継いだ際に、どのように差別化を図っていくのかを考え、糸口を探していた時、作陶をしていたことから思いきって店舗の一部を改装して自分の作業場を作ることにします。

するとある日、店舗から作業風景が見え、それがお客様の目を引いていることに気づきます。作っているところが見えると、楽しさが伝わる。見るだけではなく自身が体験すると、もっとやきものへの楽しさと愛着も湧いてくる、そう感じた氏は「物販と体験」という2軸アプローチによる事業形態を展開することにしたのです。

2011年にろくろ体験教室をスタートするとたちまち人気となり、すぐに予約で埋まっていきました。さらには2019年に信楽を舞台としたドラマが放映されたことも後押しとなり、信楽の認知度が上がり、信楽でやきものづくりを体験したいと、体験者の人数も増えていきます。

陶器をつくる喜びを得斎陶房で味わってもらうこと、それはもちろん目的の一つではありますが、そこだけで完結してほしいと考えているわけではありません。

作る喜びを持ち帰ってほしい。そして、全国各地どこででも構わないので、その楽しみを継続して、作るという事は楽しいのだ、という思いでやきものに関わってもらえれば、そのような思いで開催しているといいます。

「なんでもある、なんでもやる」それが個性。そこから自社の「オリジナリティ」を生み出す

火鉢の窯元からスタートし、やがて製造の主体を植木鉢に替え、トラックいっぱいに積み込んだ製品を全国に配達していましたが、自分たちで店舗を持ったことで、百貨店向けなど、様々な商材を手広く扱うことになる今の形態となり、「なんでもある」が個性の一つとなりました。

ただ先行きの景気が不透明で不確実になった現代。原材料は上がり、人口が減り、手ごろな器を扱う大型店舗も増え、様々な要素による脅威が存在していることもたしかです。

今後の展開として、様々な窯元の製品を取り扱うと同時に、得斎陶房のオリジナルブランド製品開発という、ハイブリッドな展開を目指すことを考えています。生産量が大量ではなくても、自分たちで管理できる製品を持っていきたいということを見据え、得斎の製品を手がけていきたいと語ってくれました。

自身にとってのやきものとは

奥田氏にとって、やきものは自然にあったもので、当たり前のものだといいます。社会人になる時に、様々な選択肢も考えられたのに、他の職業は不思議と選択肢に浮かばなかった。それは、やはり陶器屋がいいと思っていたからなのです。

登り窯を開けた時の匂い、季節によって仕上がりが全く違ってくるその時々の「景色」や「色」、幼少時から残る五感の記憶は、今でも昨日のことのように残っているといいます。

土から形が作られ、焼かれていくという、モノが出来ていくまでを見届けることが好きだからこの仕事に携わっている、そう答える奥田氏の姿に、江戸時代から続いた磯右エ門の奥田家と、得斎という名工を生み出した小川家の一族の歴史が、いまでも脈々と受け継がれているということを感じずにはいられない取材となりました。

【企業情報】

まるとく陶器/手づくり工房 得斎陶房

〒529 -1851 滋賀県甲賀市信楽町長野1198-2

TEL: 0748-82-1016

HP: https://tokusai.jp/

【信楽陶器卸商業協同組合】

〒529-1851 滋賀県甲賀市信楽町長野149

TEL:0748-82-0039

HP:https://shigaraki.shiga.jp/

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