重厚で豪華絢爛独特の美しさ
九谷焼

風土歴史現代コラムみどころ産地の団体
風土

北陸の人々の心情や生活を映し出す九谷焼

九谷焼発祥の地は、雪深い山あいの里、大聖寺川の上流にある石川県江沼郡山中町九谷。冬になると、雪に閉ざされ交通も途絶えるような村です。この一種閉ざされた風土が、九谷独特の美しさを醸し出したといわれています。それは、雪に閉ざされた長い時を忍ぶがごとく丹精込めて描き込んでいく絵付けに、また、日本海の荒波に挑むがごとく力強い線の鋭さに見られます。現在九谷焼は、金沢から南西約20Kmの能美市を中心に金沢市、小松市、加賀市などで作られていますが、九谷の心は深く受け継がれています。

歴史

謎に包まれた古九谷

やきものの歴史にはさまざまな謎がつきものですが、九谷焼も例外ではありません。通説では、今から約330年前、加賀百万石の絢爛たる文化と財力により官窯として、加賀の支藩だった大聖寺藩、藩主・前田利治が後藤才次郎に命じて焼かせたのが九谷焼の始まりといわれています。藩内の産業の一つとしてやきものに目をつけた三代加賀藩主・前田利常が我が子利治に命じ、良質の陶石が発見された九谷村で窯を開かせたということですが、それから約45年間しか焼かれていません。現在、古九谷と呼ばれているのがこの当時のものです。その後、約100年間、原因不明の廃窯期間があり、加賀藩によって金沢に春日山窯が開窯されます。これを機に、古九谷再興を目指して数多くの窯が出現、それぞれの作風を作り出し、九谷焼の歴史が再び始まりました。現在の九谷焼の原点はここにあります。


陶壁(小松空港ロビー)
現代

完全分業で生産

窯元の多くは能美市に点在しており、この町で約70%を生産しています。九谷焼の特徴は上絵にあるため、仕事は窯元、上絵師、問屋と完全3つに分業化されています。また、すべてが機械化・単一化が進む中にありながら、作品の大部分は職人の手作業によって製作されています。

商品紹介
五彩(緑・黄・赤・紫・紺青)が織りなす幽玄の世界

コラム

変化していく九谷の画風

九谷焼の特徴は、緑、黄、赤、紫、紺青の五彩の上絵具で絵付けした重厚感のある色彩にあります。これは日本画家の狩野派の名匠・久隅守景の指導によるものと言われます。この五彩を使い、古九谷から再興九谷に至るまで、それぞれ特有の画風を創り出してきました。絵画的で大胆な構造、力強く豪快な味わいが魅力の古九谷(約330年前)。前面に赤を施し、中国風の絵柄の木米(180年前)。赤を使わず、地紋で全体を塗りつぶした吉田屋(約165年)。赤で精密な人物を描き、まわりを小紋などで埋めつくし、金彩を加えた飯田屋(約150年前)。洋絵の具を用い、絢爛豪華な美の世界を創作し、明治以降の産業九谷の主流となった庄三(約135年前)。京焼金襴手手法で前面を赤で下塗りし、その上に金だけで彩色する永楽(約120年前)。このように、時代の流れとともに変化し、現代の九谷焼に至っています。

古九谷から現代作までを満喫

百万石の財力をもつ加賀藩がとくに力を注いだのが、美術工芸の促進でした。金沢には九谷焼以外にも、加賀友禅、金沢箔、桐工芸などたくさんの伝統工芸品が生み出されています。それは、百万石文化と呼ばれる文化を確立し、今なお金沢の人々の暮らしの中に生きています。能美市周辺にある資料館や美術館では古九谷から現代九谷まで、九谷焼のすばらしさをたっぷり楽しめます。

九谷茶碗まつり5月3-5日(寺井・佐野両会場)
100円のぐい呑みから数百万円の大皿までバラエティに富んだ品揃え。

産地の団体

石川県陶磁器商工業協同組合
http://www.kutani.or.jp/