日本磁器発祥の地・有田
有田焼

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風土

有田を中心に、西九州やきもの地帯がひろがる

有田川にそうように、東西に細長く広がる人口15,000人の小さな町・有田。400年の伝統をもつ日本磁器発祥の地らしく、約150の窯元と焼260の卸・小売のやきものの店がひしめいています。有田焼の積み出し港として古くから栄え、ヨーロッパではその名をほしいままにした伊万里、食器を主とした日用品では九州有数の生産を誇る波佐見(はさみ)、丼・袋ものなど生活雑貨を主体に生産する吉田、唐子の絵付で有名な三川内など、西九州一帯には有田を中心にたくさんのやきものの町が集中しています。これらは、伝統的にいくらかの違いはありますが、地理的に非常に近く、同じような原料や技術であるということから、一般に有田焼と総称されています。

歴史

有田の磁器から世界のイマリへ

1604年、朝鮮の陶工・李参平が有田の泉山に良質の白磁鉱を発見し、上白川天狗谷に窯を築いて磁器を焼き始めたのが有田焼の始まりです。同時に、日本の磁器文化の始まりでもあります。以来、鍋島藩の強力な保護の下、有田焼は御用窯として発展し続け、質の高い作品を数多く生み出してきました。日本各地からは、磁器技術を学びに多数の陶工たちが集まり、こうして磁器は全国に広まっていったのです。1653年には、大量の有田磁器が東インド会社の手でヨーロッパをはじめ海外へ輸出され、人気を博しました。ドイツのマイセンやオランダのデルフトでは、これら輸出品を元に写しが焼かれ、それは現代のヨーロッパの作品にも受け継がれています。有田焼は、染付や染錦などの古伊万里様式、赤絵、濁手などの柿右衛門様式、色鍋島の鍋島様式の3系統に大別されます。藩御用達や献上用に作られていた色鍋島は公開されず、一般に出回ったのは伊万里と柿右衛門様式。これらが、海を渡り”イマリ”という名で世界的に広く知られるようになりました。

現代

昔も今も変わらない、人気の有田ブランド

古伊万里、柿右衛門、鍋島の3様式は、現在も有田焼の主流として生産されています。鍋島様式を生んだ藩窯は伊万里市内にあったもので、その伝統は伊万里市の大川内山に点在する窯元で受け継がれ、主に花瓶、香炉、飾り皿などの高級装飾品が多く焼かれ、伊万里焼と呼ばれています。また、伝統有田焼を代表とする2大窯柿右衛門窯や今右衛門窯は、それぞれの特徴と源流を誇り、伝統を守り続けています。有田、三川内は装飾品はもちろんのことですが、料亭、ホテル用の割烹食器の生産が多く、対照的に波佐見・吉田は、一般家庭食器の生産が多いのが特色です。

商品紹介
  
コラム

3様式の特徴

有田焼といえば、白く透きとおるような地肌に、華やかで繊細な絵付けが特徴です。発生当初は、藍の染付が施されていましたが、その後、多彩な色を使った古伊万里様式が誕生し、豪華絢爛な大皿や壺が作られました。次に、日本色絵磁器の開祖・酒井田柿右衛門が成功したと言われる赤絵の技法。柿右衛門独特の濁手と呼ばれる釉薬技法に、余白を効果的に使って赤絵を施した微妙な調和の美しさは、400年近く経った今でも新鮮さを失っていません。そして、鍋島藩の保護のもと、精巧、精緻、完璧さを追求し、藩の贈答や献上品のみに用いられた鍋島。この鍋島には染付の藍鍋島と赤・黄・緑を基調とした上絵の色鍋島があり、現存する品も少なく、貴重な文化遺産となっています。

江戸文化を彩った色絵磁器

日本に磁器文化をもたらした朝鮮半島では、不思議なことに色絵は試みられませんでした。日本では、江戸時代初期の初期伊万里の頃から始まり、寛文から元禄(1661~1688)にかけて、柿右衛門、色鍋島が誕生し、江戸文化を華やかに彩りました。江戸後期になると、磁器製法が有田から各地に伝わり、同時に色絵磁器も多く作られるようになりましたが、やはり伊万里の色絵が質量ともに群を抜いています。

大陸からの新しい息吹きを受けて

玄界灘に面した佐賀県唐津市は、古くから朝鮮や中国などの大陸へ渡る港として栄え、唐津という名も「唐(または韓)へ渡る津」という意味をもちます。かつて、日本では陶器のことを「からつもの」と呼んでたこともあるほど、広く知られていた唐津焼。その起源には、いろいろな説があります。古くは大和朝廷時代、神功皇后の三韓征伐の折りに起こったという説。古窯跡が見つかったことから、室町時代末期から桃山時代にかけて製陶が始められたという説。そして、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、連れてきた朝鮮陶工によって作られたという説などなど。起源は定かではありませんが、朝鮮の陶工が伝えた「蹴ろくろ」「登り窯」は、日本の窯業界に大きな変革をもたらしました。一口に唐津焼と言っても、その種類は実にさまざま。代表的なものとしては「絵唐津」「朝鮮唐津」「斑唐津」「三島唐津」などがありますが、最もよく知られているものは、草花などの単純な紋様を描いた上に灰釉を施した絵唐津です。また、筒状に積み上げた粘土の表と裏をたたきながら形成していく「たたき」という唐津独特の技法がありますが、これを復興させたのは12代中里太郎右衛門。現在の唐津焼きは、13代太郎右衛門を中心に、重利、隆の中里3兄弟が中心的存在です。

唐津焼

  

歴史ある陶磁器の町は見どころも豊富

日本の白磁発祥の地にふさわしく、陶磁文化館や美術館、無数の古窯の他、見学や作陶・絵付けの体験ができる窯元が多い有田の町。見て、触れて、あらゆる角度からやきものが楽しめます。町を歩けば、昔ながらのトンバイ塀や白壁の家々が並び、やきものの里らしい風情に出会えます。また、伊万里の大川山内は、窯元30軒が集まるやきものの里。三方を山に囲まれ「秘陶の里」の名で親しまれています。鍋島藩窯公園、陶工無縁塔など、やきものに関する見どころも多く、有田とはまた違った趣。市街には、かつての陶器商の家も残り、積み出し港として栄えた歴史を忍ばせます。これらに加えて、有田焼の産地には、唐子の絵付でお馴染みの三川内と一般家庭食器として有田焼を担う波佐見、吉田があります。それらは、有田や伊万里の蔭に隠れた存在でありながら、窯元も多く点在し、陶器祭りなどもたくさんの買い物客で賑わいを見せています。

有田陶器市(4月~5月・ゴールデンウィーク 有田町内)
全国一の規模を誇る大陶器市。始まりは1896年とその歴史も古い。
茶わん祭り(11月 有田焼卸団地)
日頃使っている茶碗に感謝し、有田焼の発展に尽くした陶工たちを偲ぶ
窯元市4月1日~5日大川内山
やきものをはじめ、伊万里名産の蒲鉾やお菓子を売る店も出店
吉田おやまさん
4月1日前後の3日間会場は吉田地区一帯
唐津くんち 11月2日~4日唐津神社
鯛や金獅子など14台の曳山が登場。国の重要無形民族文化財

産地の団体

佐賀県陶磁器工業協同組合
http://www.aritayaki.net/