美濃焼 「利は元に在り」視覚で表現する器を 世界に広げる商社を取材
古くから盃(さかずき)の生産が盛んな岐阜県多治見市市之倉町。
そのエリアに、和食器の提供事業を柱に、企画から生産・納品までを自社一貫体制で行う株式会社丸モ高木グループの「丸モ高木陶器」があります。
国内最大ともいえる自社ショールームには常時40,000点以上のオリジナルを含む商品を展示。
厨房に立った時に器をどう使うか、飲食関連顧客がその場でイメージできるように完備された、複数パターンのテストキッチン。
様々なニーズに対応できる、温度帯の異なる4基の窯と、モノづくり現場を見学できる製造施設。
敷地内に圧倒的なスケールで整えられた設備は、訪れた顧客に感動をもたらし、開発される製品には誰もが唸るような発想と気づきがあります。
その躍進はとどまることがなく、販路は国内のみならず和食ブームに沸くアジア、北欧、中東を中心に世界中に広がっています。
四季の美しさを味わうことのできる、日本の美学を表す食文化「和食」。
それに色を添える器を「視覚」という観点から捉え、人の感情を動かす器のイノベーションを念頭に行動し続ける、5代目代表取締役社長 高木正治氏にお話しをお伺いしました。
創業と躍進
1887年に「マルイ商店」という屋号で事業が始まり、代々家族が受け継いできた事業は今年で137年を迎えます。
その後、高木氏の祖父の代で、祖父「茂之丞」の「茂」から、「丸モ高木陶器」と名を変え、1980年には株式会社となり、商社の立場を一貫して貫いてきた歴史を持ちます。
小学生頃の記憶には、祖父がリヤカーに食器を積んでいた姿が残っており、当時はまだ家内工業的な規模だったといいます。
その後事業を継承した父(現会長)が、自社ビルや人材の増員に力を入れたことで一気に加速し、会社として躍進を遂げることになります。
今でもメーカーや取引先からも父の話を聞くことが多分にあり、誰からも好意的で慕われていたということがよくわかるという高木氏。
息子という立場からではなく、圧倒的な存在感と親分肌気質で人気があり、先見の明を持って積極的に設備投資をする父がいたからこそ、会社がここまで躍進的に伸びたと確信しています。
経験が人を育てる
高木氏は4人兄妹の長男。
大人しい性格でしたが、17歳の頃にアメリカへ10か月留学したことで、自分の殻が破れ、そこから変わっていくのを感じたといいます。
大学で経営学を学んだ後、金融や人材関係の会社への就職も考えたものの、高木家の10代目である自分が事業を継ぐという使命感もあったことから、名古屋の洋食器メーカーへ就職します。
研修1か月後に決まったのは北海道への赴任でした。
広大な地で、問屋、小売りから学校給食まで、幅広い市場での仕事をこなしているうちに、仕組みを理解し始め、広い視野を持つようになります。
例えば、商業の流れ。
ある食品メーカーから依頼された蓋物の容器製造は、地域の問屋、洋食器メーカーを通じて、最終的に多治見や土岐の窯元へ行きつく。
入った頃は全くわからなかった事も、経験を経て見えるようになっていました。
そして3年後に帰郷した際に、その蓋物が実は地元で作られていたということを知り、自分の中で改めて商売の流れや考えが確立されていったといいます。
利は元に在り
戻った当初は、家業の全てをゼロから学ぶため、梱包などの基本的なことから始めたという高木氏でしたが、手伝い始めると、多治見はまさに全ての源となる製造元で、「利は元にあり」なのだということを身に染みて実感します。
時代と共にデリバリーのスピードがあがり、伝達方法も変わっていく中、地元メーカーの商品の伝え方さえ間違わなければ、国内外問わず色々なところに広げていける可能性がある、そう強く感じたのです。
2000年代に入り、窯やショールームの増設や「うつわの店たかぎ」をオープンするなど、会社のスピードは加速します。
温度帯の違う窯を4基も自社に持つ商社は他にはなく、実験から生まれる商品開発の力にも磨きがかかります。
そして2013年2月。ユネスコに和食が無形文化遺産に認定されたことが大きなきっかけとなり、株式会社丸モ高木陶器は新たな一手に打って出るのです。
もともと、毎日送られてくる注文書に、名だたる料亭の海外支店や、独立して海外で店を構える料理人からの注文傾向が多いことに気づいていた高木氏。
海外の日本料理店や貿易商社が伸びていく様子を実感していた時期と、ユネスコでの文化財認定から、やるなら今だと思い、2014年には海外事業部を発足し、香港・シンガポールへの展示会に出展するようになります。
海外での出展を通じた大きな収穫の一つが、多国籍の人と知り合うことで、各国の好まれるパターンなどがわかったことでした。
展示会では、大使館の専属料理人だった人との出会いもあり、その縁で大使館関係への食器納品を請け負うようになり、今では約9か国の大使館や領事館と取引をするほどになりました。
良さを知ってもらうためには、使ってもらうしかない。
様々なコストはかかりますが、やらないという選択肢はない、だから「やる」のだと、
その言葉に、行動し続ける高木氏の強い意志を感じました。
「気づくための気づき」を常に持つ
製造と販売の一体型が強いと一般的にいわれる中、高木氏は、販売チームが正しい道標を導くことにより、製造部門のモチベーションや効率化が改善されると確信してます。
とはいえ、販売力がある=良いものを作れば売れる、というわけではありません。
そこには必ずマーケティングが求められます。
価格なのか、トレンドなのか、国柄なのか、それらを理解した上でマーケティングを行い、販売をすることが重要だといいます。
実験を行い、モノを作り、マーケティングをすることが好きだという高木氏。
自身の持つ数々の実績や先見の明を尋ねられる時、「ひらめき」という言葉でシンプルに表現することもあると言いますが、そのシンプルな言葉の裏側には、積み重ねた経験値と根拠が垣間見れます。
その中の一つが、俯瞰力です。
一つの国にどっぷりと浸かるのではなく、色々な国をあえて転々とすることで、日本や世界を俯瞰して見つめるという意識づけ。
俯瞰して見ていると小さな気づきが起きる。そして階段を上るように、次の気づきが見えてくる。
氏が「ひらめき」と呼んでいるものは、「気づくための気づき」を常に持ち、それを明確化していっているからこそ生まれてきているのだと感じます。
自分の「当たり前」は誰かにとっての「新鮮」
2020年、株式会社丸モ高木陶器店は「温度をデザインする」器、温感・冷感シリーズを発売。
高木氏が考える「強烈なアイコンを、視覚という共通言語を使って表現できる器」を体現したものでした。
強烈なアイコンとは何か。
たとえば初めてフランスに行く人にとって、まず訪れたい場所に「パリ」「エッフェル塔」が出てくるように、海外の人にとっては日本をイメージするアイコンは「寿司」「桜」「酒」などです。
ステレオタイプだと日本人が思っているものであっても、それに海外の人が魅了され、訪れていることが事実で、それが人々の中にあるアイコンだということです。それは強みとして捉えるべきであるといいます。
自分にとっての当たり前は、誰かにとっては新鮮である。
そうやって物事を俯瞰して見ることで、一瞬にして見方は変わるということも、高木氏のいう「気づき」の一つです。
長くいると見えなくなるその良さに、周囲が気づき教えてくれている。
当たり前のように思っている自分や業界のアイコンに気づく、ということがとても大切だと、穏やかさの中に込められた明確なメッセージが印象的でした。
「視覚」という共通言語から生まれる器
「モノが良い」という時の「良い」の捉え方は、人それぞれ違います。
熱さ、冷たさ、甘さ、辛さなどの味覚、触覚もそうです。
国や人によって感覚はそれぞれ異なるため、その枠組みの中で料理を器で表現しても、伝わり方は十人十色です。
枠組みを超えて、誰もがわかる「器の共通言語」とは何なのかを考えた時に、「視覚」だという結論にたどり着いた高木氏。
瞬時に料理などの旬が伝わり、かつ、人に感動をもたらす視覚的効果を持たせる、熱さ・冷たさを可視化できる陶磁器やガラスの開発に乗り出します。
そしてそこにかけ合わせたのが、一目でわかる日本のアイコニックイメージでした。
「温度をデザイン」する器に浮かび上がるのは、満開の桜や大輪の花火。
どこの国の人が見ても、料理や飲み物の温度が視覚でわかり、日本を表す美しいシーンが伝わる。
TIKTOKなどのSNSに代表される、長い説明が不要な、瞬間的に伝わるメッセージを、陶磁器やガラスで表現させることに成功したのです。
現在、温感・冷感シリーズは冷酒、スパークリングをはじめ、盃以外にグラスやカップな多岐に渡って展開されており、海外のお客様からも非常に高い評価を得ています。
今後の展望
人気商品の開発や、会社を広げれば広げるほど、美濃焼の存在をもっと世界に広め、充実させていきたいという高木氏。
東美濃には、セラミックバレー美濃プロジェクトをはじめとする、陶磁器に対してのポテンシャルがまだまだあると考えているため、エリア内のさらなる活性化を考えています。
美濃焼には長い歴史と伝統、蓄積された技術力があり、それを基にした食器開発の数は無限大といえます。
ということは、世界中の食のプロを招聘したツアーを組むなどのプロジェクトも十分に可能だということです。
ただそのためには、インフラ、交通機関、宿泊を訪問者向けに整えていくことも必要なため、一社だけでやるのではなく、行政、他業種、同業者で協力しあってその仕組みを構築していく並走をしたいといいます。
そうやって設備が整うと、訪問客が増える。
その彼らが記録を残し、動画を撮り、一人一人がインフルエンサーになってくれることで、情報が発信されていく。これほど効果的で拡散力の強いことはありません。
美濃焼や陶産地の長い説明をするのではなく、瞬間の感動や記録を瞬時にまとめ、発信する。この「瞬間的感動」というのは、視覚で表現する器との共通点でもあると考えています。
氏はこれを、「入口と出口を持つ」という言葉で表現します。
「入口」はいいモノやコトで、「出口」は発信するためのツールや市場です。
いい入口があっても、出口が塞がれていれば、知られることはなく「ない」と同じです。
どちらか一方が塞がらないように、双方の扉を同時に開けることが非常に大切であり、現代において出口の役割を果たしているのが、SNSや行動だといいます。
いかに魅力を発信していくか、知られるためには何が必要なのかを把握しておくことで、初めて商品やプロジェクトが活きてくる。
それを理解し行動で体現しているからこそ、世界の大陸を彩る器を開発・展開し続ける今の姿があるのだということを、お話から強く感じました。
自身にとってやきものとは
地元の誇りです。
都道府県ごとにいいモノがありますが、自分の地元に日本一(全国一の陶磁器生産地)がある、というのはとても強いことです。
繰り返しになりますが、「利は元に在り」という言葉は、利益だけのことを指す言葉ではなく、自分たちを支えてくれている、地元のやきもの産業こそが「利」だと思います。
迷うことなく、そう言葉を紡いだ高木氏。
使う人が何に感動するのかを考え続け、常に「食器をイノベーションする」という思いで新しい道を切り開いてきた背景には、先祖代々受け継がれてきた家業と、地元産業への感謝と尊敬の想いがあるからではないでしょうか。
そしてそれを原動力に、これからもスピードを緩めず世界を股にかけていくだろう株式会社丸モ高木陶器の姿が想像できる、インタビューとなりました。
【企業情報】
株式会社丸モ高木グループ 丸モ高木陶器
〒507-0814 岐阜県多治見市市野倉町1丁目12-1
TEL:0572-22-3810
HP:https://www.marumo1887.com