波佐見焼「未来会議」「情報共有」新たな視点でやきものを捉え躍進する企業を取材
1600年前後から始まったとされる波佐見焼。
地域内分業制という性質から素地や成形を担い、その後の工程が隣県佐賀で行われていたことから、長い間「有田焼」として販売されてきたという背景を持ちます。
その実、陶磁器食器の出荷額が全国二位の長崎県。
日用食器を主に製造している波佐見の器は、多くの家庭の食器棚に収まっているといっても過言ではありません。
その地で、明治30年から現在に至るまで窯業に携わっている会社が有限会社 アイユーです。
波佐見焼第二次ブームに突入していた時に帰郷、その波を肌で感じながら、異業種で培った目で、自社の独自性を見極め、
成長を続けてきた四代目取締役社長の小柳勇司氏と、マネージャーの小柳文氏にお話しをお伺いしました。
土から素地へ、素地から製造へ
アイユーの前身は初代小柳吉蔵氏により創業された窯元・小吉製陶所です。
その後「小吉陶苑」の名で事業を始め、製造と販売を一貫して手がけるようになったといいます。
記録には見当たらないものの、実は小吉製陶所となる一代前に、陶土を作っていた人物がいたと考えられています。
波佐見町の近くにある塩田町では、当時は天草陶土の精製が盛んに行われており、幻の一代は、その地で陶土作りに携わっていたのではないかといいます。
その後1912年に窯元へと転換し、2代目の時に竹模様をあしらった『若竹シリーズ』が誕生。
多くの旅館や料亭で使われる代表作となるものの、1982年(昭和57年)に窯の火を落とすことととなり、小吉陶苑の名での事業は幕を下ろします。
1985年、京都の陶磁器商社に勤めていた小柳氏の父、吉喜氏(現会長)によって陶磁器卸小売業有限会社アイユーが設立。
製造から商社へと事業形態を変え、スタートを切ります。
「やきもの」を新たな視点で捉える
大学進学のため、東京へ出た現社長の勇司氏。
卒業後はアパレル業界で数年勤め、業界の中でのキャリアアップも考えますが、家業を継ぐために波佐見の地へUターンすることを決意します。
2011年2月、やきもののことを知らない状態からのスタートだったといいます。
戻ってきた当初、他社から発表された「HASAMI」が流行っていたこともあり、「波佐見焼」という存在が注目され始めていました。
2月に帰郷、入社する8月までの半年間を、やきものの勉強やリサーチ、PCなどのスキルアップに注ぎます。
同時期に、波佐見焼ブームの立役者「HASAMI」、ハサミポーセリン、白山陶器などが売上を伸ばしていることを知り、今までの
やきものとは違った「波佐見焼」の姿を実際に目にします。
発想とやり方次第で、自社も波佐見焼を伸ばすことができる、と確信した瞬間でした。
「数字」から捉え、考えを導き出す
とはいえ、外からと実際に中に入るのは違い、学生時代にアルバイトで家業を手伝っていたものの、本当の意味でやきものや業界に関して知る必要があると感じた小柳氏。
自分にとってまずできることは「数字を見る」ことだと考え、数字からやきものを知ることを始めます。
前職が商社だったこともあり、月ごとの予算組み、達成の目標など数字で状況を捉え、考え方を身に付けていきます。
年商、利益、仕入れ、掛け率などの数字を洗い出し、想像以上の厳しさに驚愕したと当時を振り返っていいます。
改善のためになにができるのか。
その解決策の一つがオリジナル商品の開発でした。
他社がオリジナルで業績を伸ばしていたこともあり、自社内を見渡してみたところ、もともとモノづくりが得意なメーカー出身。
コンセプトがしっかりと練り込まれた、前社長(現会長)作のオリジナルが、既に多くあることに気づきます。
その中で見えてきた課題。
それは「モノづくり」に特化しすぎるがゆえに、「見せ方」「卸先」「取引先」などにうまく結びついていない、ということでした。
そこで、東京に足しげく通い、展示会などへの出展、店づくりや店舗立地などのリサーチを行い始めます。
そのころ、ちょうど「ライフスタイルショップ」が流行り始めた時期でした。
衣食住のトータルコーディネートショップが次々とでき始め、アパレル店でも器などを取り扱うようになっていました。
アパレル関係へのアンテナには人一倍敏感だった小柳氏は、そこに着目。
ライフスタイルショップ系の店を回り始め、商品展開の仕方、開発内容など様々なヒントを得ます。
そこでたどり着いた答えは、いま自分たちが出展している展示会や商品展開は、既存顧客、問屋さん向けのためのものであること。
そしてこの先、自分たちが出し続けたいところではないということでした。
そう確信した氏は、その時に5年後までの目標を立てました。
それが「東京インテリアライフスタイル」への出展でした。
出展を目指して、5年スパンで、やることを逆算して行う。
その決意と言葉通り、ちょうど5年後の2016年にインテリアライフスタイルのJapan Style部門での出展を果たしました。
それは、今までとは全く異なる異業種の来場者と話をする機会であり、自社の今後の展望が明確に見え始めた、
非常に実りのある出展だったといいます。
3年連続で出展し続けるうちに自社の顧客層に変化が見えはじめます。
2018年になるころには、顧客は陶器専門の卸問屋から、アパレル系やセレクト雑貨ショップへと変わり、
9割が新規顧客となっていました。
それを機会に、今まで自社で行っていた商品開発も、プロダクトデザインのプロとチームを組み、より市場に合ったモノづくりが
できるような体制を整えます。
「作業ではなく仕事をする。自分で考えて選択することが大事」
2013年に入社されたマネージャーの文さん。
小柳氏との結婚を機に波佐見の地に移りますが、最初は何をして良いか正直わからなかったといいます。
やきものの事はわからないものの、前職の販売経験を活かし店舗に立つことで、土地の人やお客様とのコミュニケーションに
まずは専念します。
そしてその後、会社のHP制作に取り組みはじめました。
現在はWEB周りの他にも、商品開発などの様々なプロジェクトの中心となって活躍しています。
文さんが自分たちの代になって感じた変化が、社長が数字や会社としてやるべきことを全て社内共有する、というものでした。
これには小柳氏の「仕事」に対する考えがあります。
社長の自分が獲得した仕事であっても、獲得した時点から会社の仕事となる。
大手から中小企業まで、お客様は「社長の取引先」ではなく、「自分たちの取引先」だと思ってほしい。
スタッフには、作業ではなく仕事をしに来ている、ということを意識してもらいたいという想いで、
ほぼすべての情報共有を心がけています。
やっている仕事に誇りを持ってほしい。
意識レベルをできる限り同じところに持ってもらうため、ある程度の数字を共有することは、
仕事をする上でもとても重要なことだと小柳氏はいいます。
たとえば、梱包や出荷作業。
目の前に2つの梱包業務があり、その日にはどうしても1つしかできない場合、どちらを優先させると良いのか。
もし数字が共有されていれば、判断に困ることは少なくなります。
上長にいわれて決めるのではなく、自分で考えて優先順位をつけながら仕事をしてほしいといいます。
その一環として、4、5年前から本格的に情報共有に取り組み、全体会議も定期的に開いています。
最近ではスタッフも積極的に発言をするなど、変化が生まれつつあると感じています。
皆で一緒に将来を考えたい、その想いで会議の名前も「全体会議」から「未来会議」と変えました。
情報を伝えるのが商社の仕事
情報の共有は、商社として、取引先に対しても果たすべき役割だという小柳氏。
波佐見は分業制という性質上、作り手は一工程だけを請け負うということも多く、自分たちが携わっている製品が、
どこで展示されて、どこで販売されるのかを知る機会は少ないといいます。
彼らに作ってもらったものが、どのような流れで世の中に出ていき、誰に喜ばれているのか。
そのフィードバックを感謝の気持ちと共に伝える。
それも商社である自分たちの、大切な仕事だと考えています。
地域一体での「共生」
波佐見には、モノづくりに真摯に取り組むメーカー、そしてそれを受け入れる取引先など、様々な業態が存在しています。
そのおかげで、「良い情報」がたくさん集まるといいます。
また、町には小柳社長世代のUターン者が大勢いることもあり、横のつながりが非常に強い地域です。
そのつながりから生まれた有志が起ち上げた団体の一つが、社団法人「金富良舎(コンプラシャ)」です。
波佐見町を拠点に、アート×窯業、デザイン×農業、仕事×高校生、波佐見×海外など、地場産業と異業種によるコミュニティの輪を創出することで、文化や価値観を作り出すことを目的とした事業を行っています。
直近ではやきもの公園でキャンドルナイトを波佐見町の人口分の1万4000個以上灯す、というイベントを開催しました。
小学校で「ワクワクワークデー」という、町内の企業の活動内容を体験してもらうようなイベントも開催。
課外教育も積極的に行っています。
波佐見の地で子供を持つ親でもある小柳氏世代に、共通している想いがあります。
それは、地域への愛着は持ってほしいが、家業は「代々継ぐ」ものではなく、選択肢の一つであってほしいということ。
子供たちには、地域に多くの可能性があるのだということを感じてもらうため、地域に根付いた企業や仕事を体験して
もらえるような取り組みを続けたいといいます。
今後の展開
産地を生かすためには、自社だけでどうにかしようと考えても、おそらく生きていけない。
会社として「売る」ことや「作る」ことを考えるのと同時に、産地の現状、街づくりなどを包括的に考えていく必要があると
氏はいいます。
「共生」が絶対に欠かせないものになっていく時代のため、町全体の仕組みを考える。
波佐見に人を呼び込むためにはどうすればよいのか。
経験と実績を積んできた今なら、伝えたい人達に届け、響かせ、良い反応が返ってきてくれると感じています。
この事業に携わっていたおかげで、さまざまな取り組みが実現可能ポジションにたどり着けた。
地域の様々な人と協力しあいながら、地域の活性化に携わっているいま、未来のための取り組みに、
やりがいと面白さを感じているといいます。
社内では、自社製品開発をさらに推し進めながら、オンライン営業にも力を入れています。
展示会でしか拾えなかった商談が、自社のHPを通してオンライン上でも可能となったいま、テコ入れを行いながら、
営業ツールとして精度をさらに上げていきたいと考えています。
二人にとってやきものとは
商品一つずつを手塩にかけて育てているため、愛着を感じる。
やきものは、自分の子供みたいなもので、それをお客様の手元に届けられることは喜びだという、マネージャーの文さん。
モノづくりを目で見て、感じ取れる産地にいることへの恩恵。
それをしっかり見つめて、大切な地域の産物として、次世代に伝えていきたい、
子供たちにとって楽しい選択肢の一つであり続けるためにも、しっかりと紡いでいきたいと、
穏やかでありながらはっきりした口調でいいます。
そして、やきものを越えた発想や繋がりで、地域全体の共生を見据えた展開を、楽しみながら推し進める小柳社長。
お二人からは、「しなやかでありながら強靭」という印象を受けました。
軽やかな発想で、まっすぐ頑丈でしなやかに伸びる。
アイユーの前身である小吉陶苑が開発した若竹シリーズを彷彿とさせるDNAは、会社の中に脈々と受け継がれているように思います。
有限会社アイユーのお二人を通して波佐見に触れたことで、波佐見が未来に向かって、どのような進化を遂げていくのか、1ユーザーとしても今後が非常に楽しみな取材となりました。
有限会社 アイユー
〒859-3727
長崎県東彼杵郡波佐見町皿山郷380
TEL:0956-85-2600
https://aiyu-hasami.com/