第5回 白を重ねる冬の装い

橋本麻里の菓子と楽しむ器

わかりやすく具体的な色、形、素材も悪くはないが、謎かけのような菓銘や抽象的な形、質感を組み合わせることで心の中に季節の風物がくっきりと焦点を結ぶ、洗練を極めた和菓子のあり方は、いっそスリリングなほど知的だ。とりわけ雪や氷をイメージさせる冬の菓子に強く惹かれてしまう筆者にとって、東の横綱といえば仙台・九重本舗玉澤がつくる、白銀色の細い糸を束ねたような飴菓子の「霜ばしら」、一方西の横綱は薄い煎餅生地の表面に、わずかに生成り色を帯びた和三盆を刷毛で塗った、富山・薄氷本舗五郎丸屋の干菓子「薄氷」なのである。

菓子=薄氷(薄氷本舗五郎丸屋) 器=白瓷印花金烏玉兎紋碗(原田譲) 写真:津留崎徹花 撮影協力:加島美術

菓子=薄氷(薄氷本舗五郎丸屋)
器=白瓷印花金烏玉兎紋碗(原田譲)
写真:津留崎徹花 撮影協力:加島美術

「薄氷」が初めて作られたのは江戸時代中期の宝暦2年(1752)。前年にその治世を讃えられた八代将軍徳川吉宗が江戸で死去し、京都では伊藤若冲や円山応挙、曾我蕭白と言った綺羅星のごとき絵師たちが腕を競い合った時代でもある。五郎丸屋五代目当主、八左エ門が水たまりや田の面に薄く張った氷に想を得て作り出し、加賀藩の十一代前田斉広以来、代々の藩主が江戸参勤にあたって幕府へ持参する土産にもなったという。

菓子がシンプルなら、それを受け止める器に複雑な意匠や技術が凝らされているのはバランスがいい。中国の五代から北宋、金時代にかけて発展した河北省の定窯(ていよう)は、白磁の生産で著名な窯として知られる。特に北宋時代後期(11~12世紀)以降は、白磁に型押しで文様をつける、大量生産に適した「印花」と呼ばれる装飾が用いられた。この古典的な技法を踏まえて、原田譲が焼くのは、薄く緊張感のあるフォルムに、中国の伝統的な吉祥文様だけでなく、東アジア~西アジア、さらにキリスト教圏にまでいたるさまざまな文様を施した、白い器だ。張りつめた氷を透かして、各地の神話や伝説、幸福や繁栄を願う祈りが複雑に織り込まれた器の文様を読み解いていく。そんな時空を超えて旅するひとときを過ごせるかも知れない。

訂正とお詫び
東京メトロの各駅で配布のメトロガイド1月号でも掲載いたしました本記事で、「富山・薄氷本舗五郎丸屋」を「徳島・薄氷本舗五郎丸屋」と誤記するミスがありました。訂正しお詫びいたします。

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