第3回 岐阜に実る菓子と器

橋本麻里の菓子と楽しむ器

 炎暑の夏をなんとかくぐり抜けると、ご褒美のように秋がやってくる。少しずつ空が高くなり、大気は朝夕透き通るような涼気を湛え、野山に豊かな実りが結ばれる。この季節の先触れとして、9月に入るとまず登場するのが、岐阜県中津川特産の栗を使った「栗きんとん」だ。

菓子=栗きんとん(すや) 器=織部釉 長角皿(鈴木重孝) 写真:津留崎徹花 撮影協力:加島美術

菓子=栗きんとん(すや)
器=織部釉 長角皿(鈴木重孝)
写真:津留崎徹花 撮影協力:加島美術

 日本人にとって栗は、遙か縄文時代から利用してきた、つき合いの長く、深い樹種。青森県・三内丸山遺跡での研究から、かつてこの遺跡で暮らしていた人々が、野山から採集するのではなく、大きく甘い実をつける栗を選んで増やすという、栗の「栽培」を行っていたのではないか、とも推測されている。以後も茹で、蒸し、あるいは甘露煮にしたり栗ご飯に混ぜ込んだりと、さまざまな食べ方が工夫されて来たが、花形は何と言っても菓子。中でも栗きんとんは、蒸した栗をすり鉢で潰し、砂糖を混ぜたものを茶巾で絞っただけの素朴なレシピだからこそ、栗の味そのものを堪能できる、秋の訪れを告げるにふさわしい菓子だろう。
 淡い黄金色の栗きんとんを受け止めるのは、深い山の緑を映したような、織部釉の長角皿だ。縄文土器以来、素焼きだった日本の焼きものに、釉薬(珪酸鉛を基本とする緑釉)の施された器が登場するのは飛鳥時代。やがて奈良時代には、緑釉に唐三彩の技術が融合した奈良三彩が現れる。そして戦国時代を迎えた頃、硫酸銅によって明るい緑色を呈する織部釉と白釉とをかけわけた、「織部焼」が美濃で焼かれるように。戦国大名であり、また千利休の高弟でもあった古田織部がどの程度織部焼に関わっていたのか、織部焼にはまだ謎も多い。しかし茶の湯の器としてだけでなく、高級な飲食器として京都を中心に全国を席巻した、日本史上初めての「食卓の器の流行」は、まさにこの緑色の焼きものから始まったのだ。同じ岐阜県で生まれた菓子と器は、この地の自然と文化の豊かさを象徴するように、しっくりと馴染んでいる。

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