第2回 月を映す鉢

 彼岸を過ぎ、風の中に少しずつ秋の気配が忍び寄ってくると、月を思い起こさせる器や菓子に手が伸びる。秋の3か月を孟・仲・季と分けた真中が陰暦8月、別名「仲秋」に当たり、さらにその月の満月、すなわち十五夜に出る月こそ名月、というわけだ。前日14日の夜を「待宵」そして16日から20日まで順に「十六夜」、「立待月」「居待月」「臥待月」「更待月」と、月の出る時刻にこと寄せて美称を与えた日本人の、月への思いの深さは格別のものがある。

器=「銀彩鉢」 菓子=玉衣(小蔵亀寿堂) 写真:津留崎徹花 撮影協力:加島美術
器=「銀彩鉢」
菓子=玉衣(小蔵亀寿堂)
写真:津留崎徹花 撮影協力:加島美術
 そんな月の面影を宿した器といえば、釉薬をかけて本焼きし、その上からあらためて銀を上絵付けして焼いた「銀彩」の鉢だ。面白いのは、銀彩の器が「育つ」こと。銀は空気中の硫化ガス(硫黄ガス)と化学反応して、黄色から茶褐色、そして黒へと色味を変えていく。他の銀製品と同様、銀磨きで磨いて黒ずみを取ることもできるけれど、経年変化をポジティブに評価する持ち主には、まさに「いぶし銀」の味が加わったように見えるはずだ。それは照り輝く満月よりも雨の降る夜にこそ月への思いが募るという吉田兼好の、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」(『徒然草』)に通じる感覚かもしれない。
 雨ではなく、「雲間の月」程度に影の射す銀彩の鉢に盛ったのは、おわら風の盆で有名な、越中八尾の銘菓。泡立てた卵白に寒天と砂糖を加え、表面に黄身を塗って焼き上げた、小蔵亀寿堂の「玉衣」(たまごろも)である。卵焼きを思わせる、こんがりと香ばしそうな黄金色にまず目が引き寄せられ、泡雪のようにはかなく口の中で溶けてしまう食感は、甘さを重く感じさせない。決して高価ではない「おやつ」の菓子だが、ざんぐりと鉢に盛った姿は、雲の切れ間から漏れる光を思わせはしないだろうか。月見といえば団子が定番だが、直接的に月にちなんだ、あるいは月を意匠とした菓子でなくても、器次第で月見の趣向が生まれる。これも器と菓子を組合せるからこその、楽しみのひとつだろう。